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オバマの時代が終わる

バラク・オバマ大統領の任期が終わろうとしている。"Change-Yes, We Can"のスローガンで、民衆からの絶大な支持を受け選ばれた、黒人初のアメリカ合衆国大統領

在任中の最も評価される仕事は何か、と問われれば、多くの日本人は「広島訪問」と答えるだろう。現職合衆国大統領として初の訪問である。平和記念公園の原爆慰霊碑への献花、核兵器廃絶を訴える17分の心を打つスピーチ、被爆者と交わした抱擁、70年にも渡るわだかまりを解かす感動の瞬間であった。あのとき本当に感動した。しかし、同時に虚しさも覚えた。大統領就任間もない7年前のプラハ演説とは明らかにトーンが違う。亡くなった被爆者を慰霊する目的があるから、トーンが違うのは当たり前だが、そういう意味でトーンが違うというのではない。プラハでのバラク・オバマは自信に満ち溢れていた。

核保有国として、核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として、米国は行動する道義的な責任を持っています。私たちは一カ国ではこの努力を成功させることはできませんが、リードすることはでき、始めることはできます。

だから今日、私は明白に、信念とともに、米国が核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束します。私は無知ではありません。ゴールはすぐには到達できないでしょう。私が生きている間には恐らく(難しいでしょう)。忍耐と粘り強さが必要です。しかし今、私たちは世界は変わることは出来ないという声を無視しなければいけません。私たちは主張しなければいけません、「イエス・ウィー・キャン」と。

プラハ演説http://www.nikkei.co.jp/senkyo/us2008/news/20090423u0c4n000_23.html

そこでは、核なき世界に向けて、アメリカ政府がどういう貢献をするか、アメリカ大統領の立場で語られていた。それに対して、広島の演説ではどうだったか。核なき世界を訴えるオバマ大統領の想いはひしひしと伝わってきた。しかし、それはアメリカの一市民活動家が語ったものだとしてもおかしくはない内容だった。

8年前、アメリカの多くの人々が ”Change-Yes We Can" という言葉を信じていた。バラク・オバマが合衆国大統領になることで、アメリカを変えられる。アメリカが変われば世界も変わる。しかし、オバマが大統領になっても大して変わらなかった。それどころか核なき世界の逆を行こうとしている。アメリカは老朽化した核弾頭を最新式のものに更新するために巨額の取り組みを開始している。その費用は今後30年で1兆ドルに達するとの試算がある。どうもアメリカ大統領にはアメリカの軍事政策の決定権はないらしい。

オバマ大統領の広島訪問は日本人にとって記憶に深く残った歴史的な出来事であるのは間違いない。記録より記憶に残る…とよく言われる。しかし、スポーツや芸能の世界ではそれでよかろうが、 政治の世界ではそうはいかない。記憶だけでは前に進んだことにはならない。記憶は所詮、ただの思い出だ。もう三週間後にはドナルド・トランプが大統領に就任する。感動的な記憶が台無しにならなければよいが。

 

We have known the agony of war. Let us now find the courage, together, to spread peace, and pursue a world without nuclear weapons.

私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう。 

これは、原爆慰霊碑での献花に先立って訪れた原爆資料館の芳名録に寄せたオバマ大統領のメッセージである。自分自身に言い聞かせているのだろうか?とも思った。しかし、皆が心に刻むべき言葉である。記憶はだだの思い出だ。されども、それが人々の行動の原動力になることも事実だ。戦争の苦しい記憶があるから、人々は平和を切望する。世界平和や核兵器廃絶なんてものは、一国のリーダーがなんとかするものではなくて、世界中の人々の声や行動の積み重ねで実現させるものなのかもしれない。

 

微妙に怖い本当の話

お盆だよ。今日は微妙な怪談で。

 

湯川遥菜…シリアでISILに拘束され、ジャーナリスト後藤健二氏が救出に向かうが無惨にも二人共処刑されてしまった。あれからもう一年半が経ち、世間では忘れられた感がある。そんななか最近、湯川のblogを見つけた。と言ってもネットの世界ではわりと知られたblogらしい。 

マスコミから伝え聞く彼のプロファイルは、民間軍事会社のCEOであるもののこの分野のド素人で、英語のできないただのミリオタおやじである。しかし彼のblogを読むとだいぶ印象が異なる。彼のblogを信じるならば、かなりコミュニケーション能力が高くビジネスに長けた人物に見える。英語ができないという見聞も疑わしくなってくる。仕事の能力については異論もあろうが、ここではこれ以上立ち入らない。かわりに彼のスピリチュアルな側面について語ろう。

湯川曰く、彼は清朝末期の皇族の一人、愛新覺羅顯㺭(日本名・川島芳子)の生まれ変わりらしい。また、他の人には見えないものが見えてしまうなど、霊感も強いらしい。前世とか霊感とか、全く荒唐無稽な話だ。しかし、次のことは事実だ。彼がblogで綴った自分についての予見がその通りになっている。少なくとも三つの事柄について!

一つ目は、後藤健二氏とのこと。後藤氏との出会いは、湯川がISILに拘束される何ヶ月か前の2014 年4月であった。この時、湯川は自由シリア軍に拘束されていて、たまたまシリアに取材に来ていた後藤氏が自由シリア軍の幹部と交渉してくれたおかげで釈放された。後藤氏との出会いを湯川はblogに書いている。

僕の仕事はジャーナリストとの関係は絶対必要だと思っていたところに必然にもシリアで出会う事になった。そして初めて一緒に行動した。直感で感じたが、一生の友になるだろう。

「必然にもシリアで会うことになった」ジャーナリストとは後藤氏のこと。まさに、死をともにするほどの《一生の友》となってしまった。

二つ目は彼の仕事について。彼が民間軍事会社を立ち上げる少し前、これから始める仕事について、ぼやかしながらblogで語っていた。「proof of life」という映画を紹介し、これが自分が始めようとする仕事に関係がある、と書いている。映画のあらすじは次のとおり。

ーー南アメリカのとある国に赴任したダムの建築技師が反政府ゲリラに誘拐されてしまう。建築技師の所属する会社は社員が誘拐されたときの為に誘拐保険に加入していたため、保険会社は契約通り反政府ゲリラと人質解放交渉のため、元イギリス陸軍特殊部隊を現地に派遣する。交渉では救出できないと悟ったは元特殊部隊員は強行救出するーー

湯川は人質救出の仕事がしたかったのか…そして、この日のblogはこう締めくくられている。

僕が実際にこの様な救出する仕事をする事は無いかも知れないが、近い感じの出来事は、もしかすると有るかも知れない。

そう、映画にドンピシャなのことではなく、まさに《近い感じの出来事》が起きたわけだ。

 最後に自分の死期のこと。

僕は自分で短命で寿命が40歳代で死ぬのは知っていた。

こう自分の死について予見していた。実際、彼は42歳でこの世を去る。では、なぜそう思っていたのか?それは彼は自分が川島芳子の生まれ変わりだと信じていたことと関係がある。川島芳子は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女としてこの世に生を受けるが、幼少期に日本人・川島浪速のところに養女に出されたため、芳子という日本名をもつ。

男装の麗人 川島芳子として生き、そして生まれ変わっても、同じ様な人生経験をしている。

 湯川はblogでこう書いていた。芳子は40歳で死去したので、現世でも同じくらいの寿命になると感じていたようだ。実は芳子の最期は壮絶で、戦後間もなく中華民国政府によって漢奸として逮捕され、処刑されたのである。湯川の言うとおり、最期までも《同じ様な人生経験》となった。

 

こう見てみると、湯川遥菜には本当にスピリチュアルな能力があるような気がしてくる。彼は、自分の死に直面したとき、それが運命だからと素直に受け入れたのだろうか?それとも、誰かを恨んだのだろうか?もし、彼に死へのレールをひいた人間がいるのであれば、気をつけたほうがいいかもしれない。

はじめたよ!

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